主婦のうわっつら

専業主婦です。厚いうわっつらにヒビを入れてみる。

専業主婦やフリーターに生きる価値はあるのか

専業主婦11年目の筆者です。

コミュ力も無く、メンタルも弱い、人間というより豆腐に近いタイプの人間です。豆腐風人間。

 

題目の疑問を、感じさせられる時があります。

姉(結婚して働いている)には、なぜ働かないのだと度々言われます。

夫に万が一のことがあったらどうするのだと心配をしてくれているのはわかるのですが、いかんせん私はメンタルが豆腐ですし、人と話すのも苦手、テキパキもできない。

子育て中ですが、地元からも離れて暮らしているため、もし自分が何かあった時にすぐに頼れる人もいない。

そんな状況で働くことってとてもハードルが高いと感じます。

しかし、それを口頭で言うと、言い訳がましい、そんな人山ほどいるだろうなんて言われるんです。人間風の人間に。

働いている方を含めた主婦同士の会話でも、専業主婦って蔑まれているのかしら、と感じることがあります。

家事なんか仕事のうちに入らないでしょう、と仲良しの兼業主婦の友達にあっさり言われて実はショックを受けたり。

 

 (肩身が狭いわあ〜)

 

真夏でも、頻繁に冷たい風が専業主婦の周りには吹くのです。

 

同じようなことを、フリーターやニートの方も感じているのではと思います。

ですが、人間の価値は、働いているか無職かなんてことでは決まらないです。絶対に。そんなことで判断されたら、私の価値はマイナスです。

 

知り合いの奥様「あの人の奥さん、プラスかマイナスかで言ったら、マイナスよねえ。悲哀」

ああ、可哀想な夫。

 

 一つ、大切なことがあります。

人間は自由だという基本的な認識。

 

「一番下品な格言って知ってる?」

「働かざるもの食うべからず、ですね?」

「そうだ。いやらしい、卑屈な言葉だよね・・・・・。僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」

「え?どんな?」

「1日作さざれば、1日食らわず」

「それ、同じじゃありませんか?」

「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」

 

森博嗣著「笑わない数学者」より

 

ご飯を食べないという自由が人間にはある。

働かなかったから、ご飯を食べなかった、という選択の自由。つまりは生き方を選択することに価値があるという意味。

ご飯を食べるということにそれほどの価値があるのか、という命題もこの会話から浮かびます。つまり、働きたくないのにご飯を食べる為に働いて、生きる。それほどの価値がその人の”生”あるのか。わざわざ働きたくもないのに働いて、ただ生きるだけならば、”働きたくない”を貫いて静かに死んでゆくのも美しいと思います。もちろん究極の話ですが。

 

専業主婦やニートの方の中には、一日中ほぼ布団の中や椅子の上で過ごすという方もいらっしゃると思います。

側から見た方がそれを、ぐうたらと感じるか、もしくは修行だと感じるか。

最低限の食べ物と水だけを取り入れ、ほぼ動かずに生きるなんて、霞を喰らう仙人と同じです。

でも、頭の中では無駄なことを考えているはずです。

こんな生き方でいいんだろうか、とか、それこそ自分の価値とか。

 

私は思います。

それが自分の選択であるならば、さらに、夫や家族が、動かない自分を仙人だと思ってくれていれば何の問題もない、と。

 

さて、長文で失礼いたしました。私は自由の一端としてこのブログを始めました。

仙人を目指した時期もありましたが、修行には耐えられない身だと気付きました。

少しは動かないと、生きた心地がしないのです。

美味しいお豆腐になるように、丁寧に、自分の生き方に即した記事を書いていこうと思います。

ちなみに、お豆腐って、高栄養で意外と高カロリーなんですって。

やるじゃん。

  

        

(仙人を目指す方にもお勧めの、森博嗣著、通称SMシリーズ。)

 

        

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